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─29─ 真実

Auteur: 内藤晴人
last update Dernière mise à jour: 2025-04-20 20:30:00

 雑草の上に、血の飛沫が舞う。緑の草むらに真紅の雫(しずく)がこぼれ落ちる。

 刃を紅に染めた短剣が、やや遅れてその上に落ちた。

「どうして、止めたんですか? 僕は貴方にとっては、恨んでも恨みきれない、ご両親の仇の子なんですよ?」

 短剣を払いのけられると同時に、後方へと突き飛ばされたユノーは、体勢を立て直しながら言った。

 その視線の先には、短剣をなぎ払った左腕から血を流すシーリアスが、傷口を押さえ草むらにうずくまっている。

 長い前髪に阻まれて、どんな表情をしているのかは、うかがい知ることが出来なかった。

「だから、貴方は『寂しい』方だったんですね。……僕と違って、声を上げて泣くことも許されなくて。一人で、戦場を巡って……」

「……違う……」

「同じ事です! 同じ罪を僕に押しつけて、貴方は一人で逃げるんですか? それでは……それでは僕は、あなたを助けようとした父に顔向けが出来ません」

 返答は、無い。

 立ち上がったユノーは、雑草の上に落ちた短剣を拾い上げ、手巾で丁寧に血糊を拭うと元通り鞘に収めた。

 そして、身じろぎもせずうずくまるシーリアスに歩み寄った。

「お返しします……。お父上の形見なら、大切な物でしょうから……」

「……た、と……」

「え?」

 聞きとがめ、ユノーは首をかしげる。

 その時になって初めて、ユノーは『無紋の勇者』と敵味方から畏れられているその人が、泣いていることに気が付いた。

 低いつぶやきが、再びその口から漏れる。

「君が死ななくて良かった、と……貴官の御父君の、最期の言葉だ……」

 息を飲むユノーを気にするでもなく、懺悔の告白にも似た言葉は、更に続いた。

「その瞬間、こちらに向け

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     そして、夜が明けた。 常ならば父や母の好物や花を手に、人目を避けるように家を出て墓参をしていた、父の命日が来た。 ようやくその無念を晴らすことができた、騎士籍を取り戻すことができた。そう父母に伝えられる日が。 が、ユノーはなぜかよからぬ胸騒ぎを感じていた。 適当な口実で不審がる祖母をはぐらかし、一足早く家を出た。 まだほとんどの店が鎧戸(よろいど)を閉めていて人通りがまったく無い街を、一路墓地へと向かい走る。 開門直後の入口は、既に先客がいたのか、僅かに開いていた。 さらに嫌な予感がした。 ユノーは思い鉄製の扉を押し開く。 墓地に溜まる邪気が街に流れ込むのを防ぐ結界でもある扉を通り抜けた途端、ユノーはある物を感じた。 押さえ込まれながらも溢れ出ようとする哀しい『力』の波動。 これと全く同じ物を、ユノーは以前ごく最近感じたことがある。 それは忘れもしない、ルドラの最終決戦の後……。 なるべく自分の気配を消しながら、ユノーはその『力』の波動が来る方向へ足を向ける。 記憶が確かであれば、滅多に足を運ぶ人もいない区域──皇帝に対する逆賊者をまとめて埋めている場所から流れてきている。 苔むした道を歩くユノーの足は僅かに震えていた。 鬱蒼(うっそう)と茂っていた木々が次第にまばらになる。 その木々の中、申し訳程度に整地された草むらに、やはり申し訳程度の粗末な石塔が建っている。 その前で祈る人の姿が見えた。 無造作に束ねられたセピアの髪が、風に揺れている。 その人が祈り終えたとき、だが現れるはずのあの光の群は、浮かび上がっては来なかった。 信じがたい現実。 言葉もなくユノーは木の幹にもたれかかる。 静けさの中、ユノーが良く知るその人の声が、いつもと同じく無感動に告げる。「罪人の魂が浮かばれないと言う伝承は本当らしいな。ここで何度祈りを捧げてみても、誰も天に呼ばれて行こうとはしない」 すでにユノーの存在に気付いていたのだろう。 

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─27─ 善意と悪意

     完全に女帝とそのお付き達の気配が無くなってから、ミレダは先程とは異なる口調で話し出す。「これからの話は、身分の差などは関係なく、対等な人間として聴いて欲しい。そして、一切の他言は無用だ」 何事かと思いつつもユノーはうなずく。  それを確認してから、組んだ足に行儀悪く頬杖をつきながらミレダは問うた。「お前は、この度めでたく名誉を復した訳だが、それで今まで思い抱いていた無念は晴れたか?」「……失礼ながら、どうしてそのようなことを、小官にお尋ねになるのですか?」 沈黙。  ややためらってから、ミレダは重い口を開いた。「私には、戦友と言える奴がいる。奴は昔、無意識のうちにとある罪を犯した。以来奴は、それに縛られて生きている。罪を償うためだけに生きてきたと言っていいだろうな……」 遠くを見つめるようなミレダの宝石のような青緑色の瞳に、ユノーは魅入っていた。  どこかで、同じ様なことを聞いた気がする。そんなことを思うユノー。  それを意に介することなく、ミレダの言葉は続く。「それでも……私にはもう、奴は充分苦しみ足掻き抜いたように見える。けれど私が何と言っても、奴本人が納得しない。まるでさらなる辛い道を望んでいるかのようで……」「……殿下は、その方を余程大切に思われているのですね」 正直なユノーの言葉に、ミレダの頬に僅かに朱がさす。  不相応なことを口にしてしまった。そう気付きあわてて謝罪しようとするユノーを、ミレダは手を挙げて制した。「いや、身分関係なく人間同士として聴いて欲しいと言ったのは私の方だ。謝ることはない。……だから私も正直に思っていることを話そう。私は、奴に死んでは欲しくない。……果たして、罪とは一体どういう物なのか……。一度犯してしまったら、もう絶対にうち消すことは出来ないのかと……。そこで、お前の意見が聞きたいんだ」 ようやく納得して、ユノーはそれまで渦巻いていた考えを整理する。  そして静かに切り出した。「では、御無礼と承知で申し上げます。……罪とは記録上からは消せるものですが、記憶からは消えないものではないかと思います」 続けろ、と言うようにミレダは青緑色の瞳をユノーに向けるわずかにうなずく。  それを確認してから、ユノーはやや震える声で言葉を継いだ。「自分のことを引き合いに出すのも気が引けるのですが……ロンダ

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─26─ 謁見

     後味の悪い慰霊式の日に周囲で起きた様々な出来事に未だ混乱しているユノーとは裏腹に、時間はことのほか静かに、そしていつも通りに流れていた。 そして気が付けば、忘れるはずもない父の命日はいつの間にか目の前に迫っていた。 せめて墓前に良い報告……騎士籍を取り戻したとの報告ができれば、そう思っていたのだが、未だその報せはない。 やはり生きて戻ってきては駄目だったのか、そうユノーは諦めかけていた。 だが予想に反して、ロンダート家に宮廷からの使者が訪れたのである。 明日参内するように、との命令を携えて。 その見計らったかのような事の展開に多少の疑問を抱きながら、ユノーは慰霊祭の時身につけていた礼装を再び引っぱり出した。 そして、翌日。 果たして迎えの馬車が、ちっぽけな家の前に現れた。 街の目抜き通りを抜け、宮殿の正門を馬車は粛々(しゅくしゅく)と走り抜ける。 皇宮の敷地にはいること数十分、手入れの行き届いた庭園の緑を眺めるユノーは、そのまぶしさに目を細めた。 やがて馬車は謁見の間がある建物に横付けされる。 扉を開ける御者に会釈をしてから、ユノーは案内役の侍従に従い、謁見の間へと向かう。 初めて足を踏み入れる選ばれた者達しか立ち入ることが許されぬ空間は、一目見てそれと解る高価な絵画や彫刻などで埋め尽くされている。 やがてその先に、一際大きな両開きの扉が見えた。 脇に控える者が左右からそれを開くと、侍従は脇に退き、こちらでお待ちください、とユノーに告げて頭を垂れた。 会釈を返し、ユノーは赤い絨毯の上に足を踏み出した。 背後で重々しい音と共に扉が閉まる。 高い天井とそれを支える柱には、細かい彫刻と彫金が施されており、明かり取りの窓から射す光が一段高いところにある玉座の上に落ちる。 さすがに貴族とはいえ末端の騎士との謁見とあって、その前には薄絹の幕が貼られ、彼のいる『世界』とは隔てられていた。 いや、ユノーような最末端なものに対しては代理のものが現れて、儀礼的に辞令を伝えて終わるはずである。

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─25─ 一抹の不安

    「まったく、お前という奴は今までどこで何をしていたんだ?」 後宮内のテラスで遅れてやって来た師匠と友人の姿を認めるなり、ミレダの口からは予想通りの怒声がついて出る。 彼女のかたわらには卓がしつらえてあり、その上には茶器や菓子が並べられている。そして、一足先に訪れていたカザリン=ナロードが、やや眉根をよせその様子をみつめていた。 慰霊式の後、お前が無事に帰還したことを慰労してやるからささやかながら茶会を開いてやる。そう提案したのはミレダだった。 公的ではないから強制力もないのだが、皇帝の妹姫というミレダの身分を考えると、それは半ば命令と言っても良い誘いである。 いわば主賓であるにもかかわらず遅れてきたシーリアスは、どこか面白くなさそうに主催者の苛立ちを真正面から受け止める。 だが、いつもとは異なりミレダからわずかに視線をそらし、やや離れたところに立ち尽くしたままそこから動こうとしない。 全てを押し殺したような表情から、カザリン=ナロードは何かを感じとったようだった。 不安げに眉根を寄せ、大司祭は静かに口を開く。「……何か、あったのではないの?」 何気なくかけられたその言葉に、ことの顛末を説明しようとしていたジョセが一瞬固まる。 けれど、問われた側はそんなに大騒ぎするほどのことではないとでも言うように、いつもと同様感情のない声で答えた。「何故自分がこの立場にいるのか……猊下や殿下のお側にいるきっかけを、ある人物に見られただけです」 わずかに目を伏せ吐息を漏らすシーリアス。青ざめた顔でカザリン=ナロードはジョセに向き直ると、ジョセは沈痛な表情を浮かべ一つうなずいた。 ただ一人話が見えないミレダは、少しいらだったようにシーリアスに鋭い視線を突き刺す。そして、表情同然の鋭い声でまくし立てた。「だから一体、何がどうしたんだ! 私にわかるように説明しろ!」「宰相の飼い犬に力づくで嬲られている所を、ロンダート卿に見られただけだ」 まるで他人事のように言うその人に、ミレダは返す言葉も

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